紺の興亡

いわずもがなのブルマーの歴史。
御存じの方が多いとは思いますが、
やっぱり記しておくことにします。
多分に私情が入っているので、
まっとうな説明ではない事を
ご了承ください。

●参考サイト・Bloomer Girls Collection

http://home.intercity.or.jp/users/ath/ath/index3.html

目次


1.ブルマーの誕生
2.日本では、いつ頃から使っているの?
3.ブルマーの形は、なぜパンツ型?
4.ブルマーのイメージ変貌
5.ブルマーの衰退
6.ブルマーの現在



1.ブルマーの誕生

ブルマーとは、1850年、女性の社会活動の奨励を訴えたブルーマー夫人が考案したもの。スボンの裾を絞って、裾が脚の動きの邪魔にならないようにした。これにより、女性をもっと活動的にしようと言う衣装だった。そして、考案した婦人の名前から、「ブルマー」と呼ばれるようになっていったのである。

2.日本では、いつ頃から使われ始めた?

日本に入ってきたのは大正時代。(1930年代)その後、東京オリンピック(1964年)で、外国の女子バレーボール選手が、身体にフィットしたブルマーを着用していたことから、以後日本選手も使用し始めた。金メダル「東洋の魔女」のバレー人気と相まって、女子の運動着として、国内の学校にも急速に広まったのである。

3.ブルマーの形は、なぜパンツ型?

丈は、はじめは足首までのモンペ風だったが、動き易さの向上のために、ひざ丈、太もも丈、そして現在のような脚の付け根の長さへと、形を変えていった。

また、戦後、化学繊維の普及により、伸縮する生地での生産が可能となり、伸びないがゆえに、余裕をもって縫製された形(俗に言うちょうちんブルマー)から脱却し、たるみのない現在のようなパンツ型となった。脚の動きを邪魔しないような形。純粋に運動性を追求した末の形だったのだ。

4.ブルマーのイメージ変貌

女子生徒の運動着として、セーラー服と並んで、清純な少女を想起させるシンボルとなったことが、悲劇を招いた。

元々は、風俗産業のイメージサービスとして、成人女性が着用してサービスをしていたが、90年代初めから、需要の広がりとともに、普通の女性から、はては現役の中学生までもが、使用していたブルマーを売却するという状態になってしまったのである。
それは「ブルセラ(ブルマー・セーラー服)」いう言葉を生み、社会現象にまでなる。

5.ブルマーの衰退

ブルセラブームは、女子中高生への性犯罪を煽るという不安。また、体育祭などでの盗撮トラブルが多発していたこともあって、全国の学校で女子のブルマー着用の可否が議論となった。

元々、思春期ゆえに、脚が付け根まで露出する事や、腰やお尻の線が出る事に抵抗感を感じていた生徒達は、ブルマーを排除することになんのためらいもなかった。そして90年代半ばからわずか2年あまりの間に、ほとんどの小・中・高校で、ブルマーの姿は消えたのである。

6.ブルマーの現在

もはやブルマーは、合理的な運動着ではなく、少女の性のイメージとなり、みずから好んで着ける女生徒はほとんどいない。

学校指定の体操着は、ハーフパンツかスパッツになり、ブルマーを取り扱っている店はわずかである。

需要がなければ、供給もなくなる。メーカーも、ブルマーの生産を大幅に縮小、あるいは中止に踏み切った。

バレーボールなどのプロスポーツでも、ほとんど見ることはない。
わずかに陸上競技で、ブルマーとは言えない、ハイレグのスポーツショーツを確認するのみである。

女性の地位向上を訴えて生まれた衣装が、女性のストレスになってしまったとは、皮肉なものである。生みの親であるブルマー夫人が存命ならば、現在の女性の社会進出には大いに喜んだだろうが、日本でのブルマー衰退の経緯には苦笑したかもしれない。







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